夏目雅子
溌剌とした美貌と演技力を兼ね備えながら28歳の若さで逝った。
夏目雅子は1957年東京の生まれ。
戦後日本が一番元気があった、高度成長期時代のシンボルみたいに溌剌と活躍し、その真っ盛りの1985年9月、28歳でなくなったのが夏目雅子その人です。
東京女学館短大在学中、NTVドラマ「愛が見えますか」のヒロインをしてデビューしました。
応募総数400人のトップに選ばれたというのだから、彼女のスタートしてのオーラが揺籃(ようらん)時代からどんなに圧倒的だったかよくわかる。
その輝きは、翌1977年、トップレス姿で健康的な黒く焼けた肌を惜しげもなく露出した、カネボウ化粧品会社のCMで、夏目雅子はさらなる輝きを放ち、全ニッポンの視聴者を虜にしました。
同じ年、余勢を駆って東宝「俺の空」で映画界にもデビュー、休む暇なく東映でメガヒットシリーズの一本「トラック野郎・男一匹桃次郎」に菅原文太の相手役で出演、団塊世代青少年のまさにマドンナとなる。
一方、テレビ連続ドラマ「西遊記」の三蔵法師役で、凛とした美しさを魅せ、ブラウン管での人気も高まるばかり。
1981年、演劇界の鬼才・蜷川幸雄監督で萩原健一と「魔性の夏 四谷怪談より」を撮ったが、翌年には東映の超大作「大日本帝国」「鬼龍院花子の生涯」の2本に出演して、25歳の若さで美貌と演技力を兼ね備える女優の一人となった。
しかし、何といっても圧巻は、五社英雄監督の最高作「鬼龍院花子の生涯」(高田宏治脚本)の、ヒロイン松恵役で、むくつけき男相手に切った啖呵「なめたらいかんぜよ!」は、その年の流行語となる。
ひきつづき「魚影の群れ」「南極物語」「小説吉田学校」(1983年)と当時を代表となる超大作に連続登板、やがては日本映画を背負って立つ大女優と、ファンの期待を一身に担い順風満帆の将来を思わせました。
だが、翌年1984年の評判作品「瀬戸内少年野球団」を遺し、夏目雅子は忽然と旅立ってしまいます。
夏目雅子は戦後、もっとも惜しい若手女優の死亡でした。
大日本帝国 1982年(昭和57年)東映作品
「シンガポールへの道」「愛は怒涛を越えて」の二部からなる戦争映画の大作。
昭和16年から20年にかけての南方戦線を軸に、過酷な運命に生きる青春群像を追いながら、戦争と人間とは何かを問う戦争巨編。
夏目雅子は、戦争に奪われ戦犯容疑にかけられる恋人の助命活動に奔走する、画学生役と機密漏洩に関わって殺されるフィリピン娘の二役を演じました。
監督:舛田利雄 脚本:笠原和夫 特撮監督:中野昭慶 音楽:山本直純
出演:丹波哲郎、三浦友和、関根恵子、夏目雅子、仲谷昇、田村高廣
鬼龍院花子の生涯 1982年(昭和57年)東映作品
大正から昭和にかけての二つの時代を背景に、高知・土佐の侠客・鬼龍院政五郎と彼を取り巻く正妻、妾、養女、娘たちの愛憎を鮮烈なエロチシズムとダイナミックな映像美で描く。
夏目雅子は、魚市場、港、遊郭を支配化に威勢を誇る男の養女となり、身の回りの世話をすることとなる松恵を演じ、クライマックスでの「なめたらいかんぜよ!」という啖呵を切るシーンが公開当時は大きな話題となる。
原作:宮尾登美子 監督:五社英雄 脚本:高田宏治 音楽:菅野光亭
出演:仲代達矢、夏目雅子、高杉かほり、岩下志麻、山本圭